2016年05月16日

ゲムマ春2016振り返り「ゲームがうまく売れなかった4つの理由」

こたつパーティーにとって2回目となる、
ゲームマーケットが5月5日に開催されました。

一言で振り返ると、なかなか厳しい結果でした。
しかし、うまくいかなかったことには必ず理由があるし、
そういうときこそ成長できるチャンスのはず。
ポジティブに振り返りをしてみます。

さて、前回の「猛牛が倒せない」が当日で200個販売。
初出展としては大成功であると評価していたわけですが、
今回の「魔人のごちそう」はその半分以下でした。

※魔人のごちそうの詳細はこちら
http://www.kotatsu-party.com/product_majin.html

価格も確かに前回の1,000円より高い
1,800円の設定ではありましたが、
その分コンポーネントも豪華で、生産コストも下げての取り組みをしました。
2,000円以上で販売し、完売しているサークルさんもあることから、
まず価格の問題ではないように思います。

販売手法も、前回の「前のめりな接客」から大きくは変えていません。

では、どこに問題があったのでしょうか。

僕は下記の4つが影響していると考えています。


1.「協力ゲーム」という言葉の惹きの弱さ

今回はとにかくブース前で足を止めてくれる方が少なかったです。
ブース数が増えて見きれないということもあるのかもしれませんが、
それよりも「協力ゲーム」という言葉に
魅力を感じていただけなかった印象でした。
そもそも「協力ゲームってなに?」という疑問がある方が多く、
「全員勝つか、全員負けるかですよ」と説明して
初めて理解していただけた感じです。

前回は「5分で6人まで遊べるパーティーゲーム」という
短時間、大人数を売りにしていたため、
この「分かりやすさ」「イメージのしやすさ」が
立ち止まらせていたのかもしれません。

どういうゲーム?というよりも、
何人でどんな人と、どのくらいの時間で?という
シーンが想起できる言葉のほうが、
即売会では足を止めていただけるのではないでしょうか。
足を止めていただけて、初めて説明でき、
ようやく買ってもらえるみたいな世界ですよね。


2. アートワークと遊び手の乖離

今回、僕たちのこだわりもあって、
イメージに合った新しくイラストレーターさんを探して、
一緒にゲームを作っていきました。
「ポップでかわいい世界観」をある意味狙ってやったわけですが、
実際にブースに目を向けた方々からくる言葉は
「かわいい」「おいしそう」「お腹が減った」であり、
「おもしろそう!」じゃなかったんです(苦笑)

また、イラストの可愛さからか、お子様連れの方が多く来られた印象もあります。
僕たちの狙いは、ボドゲ初心者〜初中級者という層なわけですが、
ここで求められている、ある意味「かっこいい」「わくわくする」というか、
そういう「おもしろそう」な印象を
うまくアートから伝えきれなかったかなぁという反省があります。

もちろん、イラストレーターさんは僕たちのディレクションに従って
ベストなアートを提供していただけましたし、そこは大満足です。
イラストを生業にしている方々と一緒にモノづくりをするのはとても楽しいですね。


3. アートワークと難易度の乖離

これは現在様々なゲームの感想をいただいての反省です。
つまり、「見た目はかわいいのに、めっちゃ難しい」

そもそも、僕たちは協力ゲームって簡単にクリアできなくて、
だからこそ何度もチャレンジするものだよねという、
なんというかゲーマー的な発想が根本にありました。
でも、ターゲットはあくまでライト層なんだから、
ポップなアートは譲れんぞ、と。
そこら辺の整合性のとれてなさがあったなぁと思います。

この難易度を前提にするのであれば、
もっと魔人は強面でシビアな印象を与えるべきだったかもしれないし、
そもそもテーマとして、「魔人へごちそうを提供する」ではなくて、
何かもっと「試練」みたいなものが合ってたかもしれません。

ただ、これはもう僕のこだわりというか動機として、
「魔人のごちそう」というフレーバーをメンバーから聞いたときに、
これはなんか「ワクワクするなぁ」と思ったんですよね。
だから、その自分のワクワクをゲームを通して表現したかったんですけど、
その過程でなんか色々、混ざりものとか欲が出て、
ぼやけてしまった感があるかもしれません。
何を一番重視したいのかという軸が弱かったんですかね。


4. 関わり不足

前回と比べて、僕自身は明らかにボードゲームに関する活動は、
この1年少なかったですね。
子供が生まれたこともあるし、仕事が忙しくなったり、
大学の勉強が本格化してきたこともあり、
なかなか本腰をいれてボドゲとその制作に向き合えた時間がとれなかったなぁ。

もちろんテストプレイはメンバーの協力もあり入念にできたと思いますし、
ゲームとしてのクオリティには満足できています。
ただ、僕自身がもっとボドゲ制作に関わる人たちと触れ合わないと、
そりゃぁ広がらないよなと思います。
実際ブログもなかなか更新できていないですしね。
だから、かけた時間、情熱と結果は単純な正比例じゃないけれど、
やっぱり比例するってことだと思いますね。

以上、4つの理由が今回の失敗に
(あくまで現時点での、と言いたいところです)
つながっているのではないかと考察しています。

「いや、もう単純に面白くないから売れないんだよ!」
そういう意見もあると思います。
ただ、当日の試遊卓の雰囲気を見ていた限りでは、
楽しんでいただけていたんじゃないかと。
ゲームの質を上げる方向は、いずれにせよ、
常にドライブしていくわけですからね。

まぁ、そこで思ったのはですね。

1回の成功はマグレかもしれないが、2回続けば多分それは何かつかんでる。

点を線にしていくというのも近いのかな。
こういう言葉、僕は結構好きなんですが、
そこから行くと、僕らの1回目はやっぱりまぁ、マグレだったと(苦笑)

ただ、もちろん「魔人のごちそう」には思い入れがあるし、
難しさ、協力ゲームには、コアなニーズがあるのではないかとも思ってます。
採算とれるまで行けば、失敗は失敗じゃないです。
幸い、プライベートな中でやってるし、賞味期限がないものだから、
成功と失敗の定義、ここは広く考えればいいと思います。
市場の広がりから流通も増えてるから、
チャンスはいくらでもあるし、作れるはずです。

外販、委託販売もしていきますので、
もしご興味あれば、ぜひあそんでみてくださいね。

まぁ、とにかく。
「おもしろそう!」と思える、思われるゲームを作りたいですね。
その言葉ってとても主観的なんだけど、
そう思えるものたちって、何か共通項がある気がしています。

引き続き、楽しみながらやっていきましょう!

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posted by らりお at 17:47| Comment(0) | ボードゲーム制作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

【コラム】ゲームブックというコンテンツの魅力

なんだかお久しぶりです。
2016年も、はや3か月弱がたちました。

そろそろ何か面白くて苦しいことをやらんとな、と思いつつ、なかなか変われていない現状です。子供が生まれたから仕方ないとか、なんだか下手な言い訳をしてたのですが、覚悟があればやってたはず。結局、覚悟が足りてなかったなぁ。

そんなわけで!
今年はその種を植えて、水をやり始める良いタイミングと位置付けました。
とにかくアイディアを出して、「植える」⇒「水やり」を繰り返そうと思います。

そんな中、過去の棚卸とか、自分のワクワクするところを想像していたとき、ふと「あれ楽しかったなぁ」っていうのがありました。

それが「ゲームブック」というコンテンツです。
(……そういう名前だということを最近初めて知ったんですけど。)

ゲームブックは、ゲームマスターのいらないTRPG的なものと言ってもいいし、RPG要素のある小説と言ってもいいかもしれません。
読者は主人公となって冒険し、読み進める中で、自ら行動を選択します。
たとえば、「右にいくなら195」、「左にいくなら253」と書いてあって、番号のパラグラフを読めば、また新たな展開が、という感じですね。

最近になって名作と呼ばれるドルアーガの塔シリーズが復刻されたので、早速購入し、プレイしているところです。

端的にいうと、ダイスを振って主人公のパラメーターを決定し、探検し、敵を倒してレベルアップするという基本的なRPG要素に、ダンジョンのマッピングをしていくゲームに仕上がっています

この行動の選択によってストーリーが変化するというシステムは、デジタルの世界でノベル系ゲームに見られる基本的なものですし、ダンジョンRPG×マッピングという点では名作ウィザードリィに始まり、世界樹の迷宮で使われています。

フラグ管理やマップ処理、ゲーム準備の手間を考えると、基本的にデジタルのほうが相性がいいシステムともいえます。その結果、現状で市場におけるゲームブックは、ボードゲーム以上にメインストリームではないようです。

たしかに、非常に面倒くさく、敷居の高さが多々あります。
例えば、以下の点です(ドルアーガの塔第一章「悪魔に魅入られし者」ベース)。

●プレイシートを作り、都度 修正するという手作業感、プレイミスの出やすさ
●初期パラメータの設定、戦闘が完全なダイス運。目が低いと弱く、高いと強い
●プレイヤーが自分1人のため、あらゆる面でズルできる(したくなる)

こう書くと、アトラスがDSで発売している世界樹の迷宮シリーズは、上記の不満点をすべて解消しているように思えます。

しかしながら、ゲームブックというコンテンツには上記のデメリットに勝る、素晴らしいメリットが存在すると感じているのも事実です。

それは、「濃密さによる圧倒的な没入感」という言葉に集約できます。

本という媒体であるが故に、複雑なフラグ管理はできません。
また、文章が冗長では本がどんどん分厚くなってしまいます。
だからこそ、1パラグラフの密度がとても濃く、1歩進めば必ず何かが起こる緊張感があります。これがプレイヤーのワクワク感(冒険心)をとてもくすぐるのです。
そして文章を読んで進めるという点から、プレイヤーには場面を想像する余地があり、実際にその世界に大いに入り込ませます。
これらの要素がプレイヤーの没入感を高めているのです。

「扉を開けるなら 357にいけ」と言われて、そのパラグラフまでペラペラと紙をめくっている瞬間のドキドキは、今、なかなか得難い体験ではないでしょうか。
ゲームブックの価値は、この「次は何があるんだろう」というドキドキ・ワクワクする体験に詰め込まれていると思います。
だからでしょうか、ゲームブックで遊ぶ時は、すごく子供に戻ったような気持ちで遊べるのです。

最近僕が感じていることの1つに「不便さの価値」というものがあります。
つまり、不便であることには理由があって、実はそこに大きな価値があることもある、ということです。ゲームブックは確かに手間がかかるのですが、そこに見合った楽しさ、体験があるのもまた事実です。

さて、このコンテンツをより商用化しようとすると、どうすればいいかについて、ちょっと考えてみました。
「選択によるドキドキ(強い没入感)」「私が作る物語」が、コアバリューにおけるキーワードでしょうか。

1つはリアル脱出ゲーム的な体験型アトラクションと、とても相性がいいと思います。
もともと1人用TRPG的ポジションのゲームブックですが、物語は実は複数人との意思決定やドラマの末に、作られたほうが面白いと思うからです(自分の影響力が見える必要がありますが)。
現在のリアル脱出ゲームはパズル・謎解きなので1人1回きりの消耗コンテンツで、「パズルが解けたときにカタルシス」みたいなところにコアバリューを感じます。
しかし、ゲームブック形式になれば耐用回数があがり、毎回異なる展開を提供できます。そして、自分たちが壮大な物語の一部になっているというロールプレイ的楽しさがコアバリューになるでしょう。

もう1つはボードゲームとの相性が良いのではないかと思っています。
(そもそもこのブログはボードゲームに関する考察ブログなので!)
例えば、本をコンポーネントにしたボードゲームで、各プレイヤーの選択に従って物語や展開が進んでいき、何かしらの手法で勝敗が付くイメージです。
そもそもボードゲームはジレンマの伴う選択を迫られ続けるものですし、人狼は筋書のないゲームブックに近いところがあります。
本というコンポーネントはページをめくれば変動するボードと見ることもできますから、それを使った面白いシステムも考えられそうですよね。
ゲームブックは戦闘などの細かなゲームシステムの部分に弱みがあるため、ボードゲームの様々なシステムを応用することで、没入感という強みを生かしつつ、より面白いコンテンツに進化することができそうです。

そのほか、デジタルと融合する形であれば様々なチャンスはあると思いますね。

最近、自分の興味がどういうところにあるのかというのが、かなり明確にわかってきました。
あとは本当に、種をやって、水をまいてみる。
芽が出たら、一緒に育ててくれる仲間を探す。

面苦しい人生を送りましょうー!

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こたつパーティーはゲームマーケット春2016(5月5日)に出展します。
新作は「魔人のごちそう」
腹ペコ魔人の料理をふるまう協力カードゲームです!
ぜひ遊びに来てください。
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posted by らりお at 15:21| Comment(4) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

ゲームにおける14の「気持ちいい」をまとめてみた

2016年、明けましておめでとうございます。
ゆっくりペースですが、適度に更新していこうと思いますので、
よろしくお願いします!

さて、GM春に向けてゲームを制作中ですが、最近よく思うのは
「ゲームをやる理由って、結局気持ちよくなりたいってことじゃないの!」ということ。気持ちよければ、自然ともう一回やりたくなりますよね。

そういうわけで、「個人的に気持ちいいと思うゲームの瞬間」を雑記的に書き出してみることにしました。2016年も超主観的です。
ゲーム制作の折に、何かのヒントになる……といいなぁ。


「当たる」
当たるには2つの気持ちよさがある。

1.当たりを引く
ここでAを引けると嬉しいときに、Aを偶然引けた。
遊戯王、カイジでは茶飯事。いわゆるディスティニードローだ。
これは言いかえれば「願いが叶った」といえる。
望んだことが運命的にかなうと、それは気持ちよさにつながる。
ランダム要素を適度に入れることは、気持ちいいを作るためにも重要なのだ。

一方で、これは「願い」がなければ成り立たないとも言える。
「あれが来たら嬉しい」という状況がそのゲームで起こりえるかどうかは、ひとつのチェックポイントかもしれない。
ビンゴがなぜ気持ちいいのかは、ここに集約されている。

2.予想が当たる
運の要素と引き離して考えると、「推理、予想が当たる」のも気持ちいい。
予想と結果のブレがない状態は気持ちいいものなのだ。
それはまるで、自分の思い通りにできた感覚に似ている(後述する操作に近い)。
「犯人は踊る」で、探偵勝ちする気持ちよさはまさにこれだし、クイズに正解するのもこれだ。

「つながる」
これも2つに分けられる。

1. 事象がつながる
最初にAをしておいたお陰で、あとあとBが活きてきた。
つながることには、気持ちよさがある。
コンボによるずっと俺のターン、伏線が回収されるようなドラマ展開、死亡フラグは気持ちいい。
「ドミニオン」において、「村」でアクション権を増やし、「鍛冶屋」で手札を増やし、8金属州は、後述する「増える」も伴って気持ちいい。

2.人同士がつながる
あうんの呼吸、ツーカーは気持ちいい。
つながる、というより「通じる」「通じあう」と言った方が的確かもしれない。
「ごきぶりポーカー」で、リーチ状態の人に対して、全員で逃げ道をなくすようにカードを回すのである。やっている方は気持ちいい。やられた方はたまったものではないが。
「HANABI」などコミュニケーション制限系の協力ゲームの楽しさはここにあることが多い。「人狼ゲーム」における狂人と狼の関係もこれだ。

「勝る」
相手より優位に立っている状態は気持ちいい。
ドヤ顔は気持ちよさの証明なのだ。
ただし、ここには一つ懸念事項がある。
テーブルの反対側、相手が明らかに不利であることを認識している場合、それは相手にとって気持ち良いことではない。それも、勝ち目のない状況であればなおさらだ。
そして、相手と自分は1つのゲームでつながっているため、「相手が気持よくなければ自分も気持ち良くない」ということが、往々にして起こってしまう。ゲームは誰と一緒にやるかによって楽しさ変わるといわれる所以である、たぶん。
つまり、明らかに一方が優位である状態は、ゲーム全体としてみると気持ちよくないかもしれない。
しかし、逆に言えば、「明らかでなければいい」のだ。
例えば、相手に見えない手札の部分で優位性があり、「ぐふふ」と心の中でニヤついている自分。実はこれが一番気持ちいいのではないか。
非公開部分での優位性をプレイヤーが認識できるかどうかは、気持ちいいチェックポイントだ。

「壊す」
壊すことは、まず動作として気持ちいい。
壊すというのは、つまり100をゼロにしてしまうことだ。
私はシムシティで、まともな街を作れたことはないのだが、怪獣を出現させて街を壊すことだけは気持ちよかった。
壊すことは、自分の影響力を目に見える形で、分かりやすく表すことなのだ。世界を支配したくなる魔王と同じだろう、きっと。
壊す対象は積み上げられたものであればあるほど、気持ちいい。
余談だが、うちの8か月の息子は私が作った積み木タワーを崩しては喜んでいる。たぶんこれは本能的にそういうことが気持ちいいのだろう。
ジェンガやワニの歯を抜くやつの楽しさに近い。

ここから転じて、「ひっくり返す」のも気持ちいい。
壊すが100⇒ゼロだとすれば、ひっくり返すはマイナス100⇒プラス100にすることだ。
ひっくり返す、つまり逆転するのも気持ちいい。圧倒的不利な状況を覆せた瞬間は最高に気持ちいいのだ。
また、伏せられたカードをひっくり返す(めくる)のは、動作として気持ちよさを秘めている。ここには前述の「当たる」気持ちよさもあるのだが。
同じ理由かどうかは分からないが、鬼オヤジのちゃぶ台返しも見ていて気持ちいい。

「届く」
高い所に何かが置いてある。
届きそうだが、ギリギリ届かない。でも頑張ったら、なんとか届いた。
その瞬間はとても気持ちいい。
これはゲームの勝利という目標に対するハードルの設定の話である。
仕事だと、目標にはストレッチゴール(少し頑張れば届く目標)を設定するのが良いといわれる。問題は設定者にとってストレッチゴールと「認識」していても、当事者にとってそれが圧倒的に高く認識されてしまうことである。
このちょうどいい難しさを作るために、私はいつも四苦八苦する。その大きな原因はこの認識ズレが大きいのだ。

「苦しむ」
苦しむのが気持ちいいというのは、矛盾している気がするが、ドMという言葉があるように、これは紙一重なのだろう。
ゲームにおいてこれは、悩ましい状況、困難を意味する。
なぜ悩み、問題解決に取り組んでいることが気持ちいいのか。
1つはそこにかすかな希望の光が常にあるからである。どう考えても無理という状況で苦しむのは全く気持ちが良くない。それは拷問だろう。
考えて打ったその先に、一筋の光があり、そこに「届く」かもしれないからこそ、今は苦しむことを選ぼう。しかし、そうこうしているうちに、それ自体がなんだか気持よくなっていくという、不思議な現象である。
「届く」の節で挙げた理由と同様に、この一筋の光を与え続けるのが難しい。
1つのアンサーは気の抜けない状況を作り出すことだ。
世界の七不思議デュエルにおける軍事と科学勝利は、相手に達成されたその瞬間に、これまで築いてきた勝利点など関係なく、敗北させられてしまう。圧倒的不利な状況でも、「相手のミス次第であるいは…」という希望を抱かせれば、苦しむことに快感が残るだろう。

「揃える」
何かが揃うのは気持ちいい。
ペプシコーラでひたすらFFやSWのボトルキャップを集めたことがあるだろう。
どうせなら全て揃えて眺めたいと思うはずだ。
あるいは、ワンピースの15巻だけがない状態に我慢できるだろうか。1〜70まで全て連番であることは気持ちいい。
セットコレクションのゲームが気持ちいい理由である。

「無くす」
部屋が片付くのは気持ちいい。
仕事が片付いても気持ちいい。
何かを無くしていくというのは、それが不要なものである限り、気持ちいいのだ。
ババ抜きが気持ちいい理由は、「当たる」「揃う」「無くす」の組み合わせだからだ。
ぷよぷよ、ツムツムの気持ちよさは、当たるのかわりに連鎖という形で、「つながる」が付随している。

「増やす」
逆に必要なものがどんどん増えると気持ちいい。
これは大体「つながる」とうまく組み合わさっていて、加速度的に増えていく演出がある。拡大再生産が気持ちいいのはこのためだ。
宝石の煌めきは、序盤はジリ貧で全く点数を稼げないが、ある瞬間を超えると急速に場が動き、1手番差で勝負が決まる状況になる。
宝石という嬉しいものが、どんどん増えるからだ。

「流れる」
何かがスパッと切れるのは気持ちいい。
それは、淀みがないからだ。
リズムよく何かが刻まれているのは気持ちいい。
たまねぎのみじん切りも、プロの料理人がやっていると気持ちよく見ていられる。
つまり、テンポがいいものは気持ちいいのだ。
UNOやリズム系ゲームの面白さはこの刻む楽しさと言える。

「見つける」
何かを見つけるのは気持ちいい。
「ウォーリーを探せ」をついついやってしまうのは、人ごみの中から、あの「赤白ボーダー男」を見つける気持ちよさを味わいたいからだ。
物理的な発見だけでなく、新しい戦術、組み合わせ、を見つけた時も気持ちいい。
TCGのデッキ構築を考えたくなるのは、この気持ちよさがあるためだ。
また、ワーカープレイスメント系ゲームは多様な勝ち筋が用意されているため、この見つける気持ちよさを提供していると言えるだろう。

「操作する」
自分以外の何かを動かすのは気持ちがいい。
それが自分よりはるかに大きいもの、力が強いもの、普通では動かせないものであればあるほど、それは気持ちがいい。
ジェット機を操縦する、社長に何かをしてもらう、経済を動かす。
これは「勝る」や「壊す」の感覚に似ている。
ゲームに寄せて考えると、「作戦がうまくいく」のは気持ちがいい。
自分の作戦にはまって相手がその通り動いた結果、自分が優位になるのは気持ちがいいだろう。つまり、「してやったり」と思えるかどうかだ。
インタラクションの多いゲーマーズゲームは、この気持ちよさの作り方がうまい。

「酔う」
酒に酔うのは気持ちがいい。
酔うというのは便利な表現で、人は様々なことに酔うことができる。
1つは自分自身に酔うのはとても気持ちいい。
「苦しい状況でもこんなに考えて最善策を模索している自分に酔う」ことはよくある。
そのためには気持ちよく酔える環境が必要だ。
綱渡りしながら酔いたいとは思わない。
見通しが良い大通りで酔いたいものだ。

また、ゲームそのものに酔うことも気持ちいい。
これは没入感ともいえるが、自分と何かを重ね、入り込むことで気持ちよくなる。
TRPGにおけるロールプレイは、その典型的なものだろう。

「訴える」
五感に訴えてくるものは気持ちいい。
例えば将棋や囲碁の駒や石を置く音は気持ちいい響きだ。
触覚からいえば、質感が気持ちいものがある。
宝石のきらめきの円形プラスチックチップはあれを重ねて、カチャカチャしているだけで気持ちがいい。
見ていて気持ちがいいのは、カルカソンヌやカタンなど土地が変化、発展していくものだ。


さぁ、私の作っているゲームには、どの程度気持ちよさがあるだろうか。
まとめていて思ったのは、気持ちよさがゼロサムではダメだという点だ。
ゲームプレイヤー全体の「気持ちよさの総和」が、ゲームする前より上回っているかどうか。良いゲームは勝っても負けても気持ちいいのはそういうことなのだろう。
posted by らりお at 17:41| Comment(0) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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