2014年12月09日

ボードゲームのドラマ性について考えてみる

【はじめに】

この記事はI was gameのカレーさん主催
”Board Game Design Advent Calendar 2014” の9日目として、
掲載しております。
http://www.adventar.org/calendars/447

こんにちは、GM2015春に向けてゲームを制作している 「こたつパーティー」というサークルを主催しております、らりおと申します。
http://www.kotatsu-party.com/

名だたるボードゲーム製作者たちの中、最近ボードゲームを始めたばかりで、まだ制作物を発表していない私がこの場で書くのはとても恐縮です。ただ、せっかく掴んだ機会ですので、私なりの考えを全力でお伝えできればと思います。

テーマは「ボードゲームのドラマ性」 について、となっております。

ボヤっとした話から入るため、メインの話までたどり着くのに少しお時間をいただくことになりそうです。興味ある部分をピックアップしていただければと思います。
少しでも皆さんの閃きやアイデアに貢献できることがあれば幸いです。

【ピカソとゲームデザインの話】

「ゲームにおけるドラマ性」の話に行く前に、少しだけ考えていることを書きたいと思います。

私は普段、マーケティングに関わる仕事をしております。マーケティングは、お客様にどのように買っていただけるようにするか、という話ですが、はてさて、ボードゲーム制作の世界にそれは関係するのでしょうか。
マーケティングにおいて、常に意識しなければならないのは、「私たちのお客様は誰なのか?」ということ。このウェイトが非常に大きいと感じます。それに対してどんなコンセプトの製品をどのようなポジションで提案するのか。それによって製品仕様やメッセージ、そしてどこで販売するかなどが変わってきます。

この記事の前半では、「クリエイティブにターゲットは必要なのだろうか」という、そんな素朴な疑問について考えてみます。

クリエイティブは何か、と問われると、私のなかで最たるものは芸術作品です。
音楽や建築物や、絵画。
この世界には、名だたる芸術家と言われている人たちがいます。芸術に疎い私ですが、頭の中でパッと思い浮かぶのは、パブロ・ピカソです。

私がピカソの絵を初めて見たのは、たぶん幼稚園か小学校低学年のときでした。
母親にこの絵は数億円するといわれて、「なんでこんな変な絵が……」と幼い私は思ったものです。私には未だにその良さを理解できていませんし、 1万円と1 億円の絵を見せられて、どっちがどっちを判別することはできないと思います。

ピカソについてWikipediaで調べてみると、面白いのは彼の山あり谷ありの人生の中で、彼自身そのものが絵画に表れていることです。その時々によって、絵のタッチ、スタイルが全く違うのです。

私が感じたのは、なるほど、芸術の世界は完全な「プロダクト・アウト」なのだなということでした。とにかく彼は、描きたい物を、ただ描いていたのではないでしょうか。

(※プロダクト・アウトはマーケティングの用語で、簡単にいえば「作りたいものを作る」「気に入ってくれた人が買ってくれればいい」というやり方です。
対義語は「マーケット・イン」と呼ばれています。こちらは「誰に買ってほしいかを想定して作る」というやり方になります。

物が少なかった時代はプロダクト・アウトで多くの企業が成長をしてきましたが、近年は物が溢れ返り競争が激しく、ターゲットを絞って、まさにその人に向けた商品開発・マーケティングをしないとなかなか買ってもらえないと言われています。)

芸術家は自分の世界観を何らかの形で表現しています。その中にはメッセージがあることもあれば、ないこともあるのでしょう。その世界観を理解し、気に入った人がファンになって、その作品の価値、その人自身の価値を作っていく。そんな風に感じました。
(もちろん技術的な素晴らしさもあるのだと思います)

それでは、ボードゲームに置きかえてみるとどうなのだろうと。

私は、ボードゲームのデザインは芸術に似た部分があると感じています。
私たちボードゲーマーはゲームをプレイしていて、時々、痺れるようなゲームデザインに出会うことがあります。思わず、「おおっ!」と声が出る。そして、まさにそれを体験したいからこそ様々なボードゲームを遊んでいる、といっても過言ではない気がしています。システム的な美しさと面白さ、ここが整っているゲームに感動を覚えるわけです。

ドイツゲームデザイナーの巨匠と言われる人たちには、独特の世界観や得意技があります。ゲームをしていて、「クニッツィア氏らしいゲーム」と私たちが感じるのは、まさに彼の紡ぎ出す芸術性そのものではないでしょうか。

現在、日本国内でも様々なボードゲーム制作がなされており、徐々にサークルごと、もしくは作家さんごとの味が醸成されてきていると感じます。現にあのサークル(あのデザイナー)らしい作品だね、という声が twitterでもよく聞くようになってきました。

ボードゲームを「プロダクト・アウト」的に創作するというのは、自分たちなりの芸術性の追求であり、その人の世界観の表現であると思います。今後、その「らしさ」を出していける人たちは、いずれドイツでも「これ、○○らしいゲームだね!」と言われる日が来るのでは、と思います。

冒頭の質問「クリエイティブにターゲットは必要か?」に自答するならば、「ゲームシステムは一種の芸術だ。自分らしさを突き詰めて表現し、そこにフォロワーがいるなら必要ない。プロダクト・アウトのゲーム創作は十分に機能する」と考えました。


【任天堂とターゲットの捉え方の話】

しかしながら、自身でゲーム制作を実際に進めていると分かることがありました。
それは、どうやら自分はピカソにはなれないな、ということです。
そもそも、私には芸術的なセンスというものが、悲しいくらいありません。
学校の美術の時間は地獄でしたし、自分の考えを物に落とし込んで表現する、ということがとても苦手でした。また、ピカソがゲルニカに込めた思いのように、そんなに強烈に表現したい何かがあったわけでもありません。

そこで思ったのは、どうやら自分は「作りたいものを作る」スタイルでフォロワーを獲得するのは難しいなということです。いえ、弛まぬ努力を重ねれば、おそらくできないことはないとは思うのですが、多分勝てないし、自分の強みを活かせる領域ではないなと思うのです。

そこで、「マーケット・イン的」にゲーム作りをするのはどうか、と考えてみました。つまり、「こんな人たちにこんな風に遊んでほしいゲームはどんなもの?」という考え方です。

きっかけとなった任天堂の Wii成功の理由に関する記事です。これはとても印象的な内容を孕んでいました。
発売時期が近かったことから、当時 PS3とWii はよく比較されていましたが、売上ベースで見れば、 Wiiの圧勝でした。実際、任天堂の当時の株価は劇的に上がりましたね。
その理由は、簡単にいえば、 PS3はゲームクオリティを上げる方向性にこだわったが、 Wiiは「そもそものターゲットのとらえ方を変えた」、この差にあると分析されていました。
つまり、Wii は普段ゲームをしない層を巻き込むことに成功したわけで、そのギミックが体感型ゲームでの運動不足解消であったり、 DSの脳トレに代表される、実用性を持たせたゲームということです。

新しいターゲットを設定し、新たな価値をゲームというスタイルで提供する。
私はなんとなく、これにある種の「かっこよさ」を覚えました。
ピカソとは別の意味で、新しい世界を切り開いている感じ。ボードゲームも、こういうことができるのではないか。

そんなわけで、私はゲーム作りにおいて、遊び手を特定して、その人たちに提案していくことにしました。なるべく具体的なプレイシーンを提供し、遊びの形を提案できれば、ターゲットは絞られてしまうけれども、刺さる人には刺さるゲームが作れるぞと!

問題は、その人たちにどう伝えていくか(伝えるチャネルは?伝える内容は?)
そして、そもそも本当にそれをその人たちが求めているのか……?
資金のある企業であれば入念な調査を経て、投資するかどうかを決定するでしょうが、私はただの一個人、一サークルに過ぎません。知恵と勇気を振り絞って、ぶつかり続けて見えていくものを模索していくしかありません。

そんな中、ボードゲームデザインにおいて、現在もっとも重視しているのは「ドラマ性」というキーワードです。

【ゲームにおけるドラマ性をデザインする】

長い前置きを経てようやく主題に入ります。ボードゲームデザインに関してのみ興味がある方は、ここからお読みいただくのがベストです!

さて、突然ではありますが、人は「すぐに忘れる生き物だ」と言われています。有名な忘却曲線は 1か月で人は80%を忘れることを示しています。
しかしながら、自分がとても小さなころの出来事でも、未だ鮮明に覚えている出来事も、たくさんありますよね。そしてそれはたいていの場合、具体的なエピソードに紐づいているのではないでしょうか。
例えば、苦手なテストで初めて 100点をとったときは、そういえばその前日に母が鬼のような形相で勉強を見てくれていて、半泣きになりながらやっていたなぁ……とか(実話)。

強烈なインパクトのあるエピソードは記憶からなかなか離れません。それはネガティブな表現をすればトラウマですし、ポジティブに考えれば成功体験と言えるでしょう。

前提として、私は「普段ゲームをしない、もしくはボードゲームをしない人たち」を少しずつ巻き込んでいきたいと思っています。ですから、そういうことがしやすいゲームを作って提案していきたい。
そのためには、遊んだ時に、一定量の記憶に対するインパクトが必要ではないか、という仮説を持っています。記憶に残れば、情報は伝播されやすくなり、巻き込みの輪が広がっていくのではないでしょうか。
そのインパクトの重要な源泉の 1つこそ、ゲームのドラマ性ではないか、と私は考えているわけです。そして、多くのライトに遊ぶ人たちは、ゲームシステムとしての斬新さ・美しさもさることながら、ボードゲームのこの部分を楽しんでくれているのではないかと想定しています。

※ゲームのドラマ性については、過去の記事もお時間あればご参照ください
http://begin-boardgames.seesaa.net/article/407895547.html

私は、「ボードゲームにおけるドラマ性」を下記のことを指しています。

「プレイヤー間における選択の結果、様々な想定外の結末を生む仕掛け」

ゲームにおけるドラマ性とは偶然「起きる」ものでしょうか。
もちろん、それもあるでしょう。
しかし、ゲームにおいて、ドラマは「起こす」ことができるものです。
そこには下記のような条件が必要ではないか、と考えています。

1. 自由な選択

私が自らの意志で選んだから、ドラマが生まれます。それがすべての起点です。
主人公が周りに流され続けてハプニングが起こり続け、その結果ドラマが起こるということもあるかもしれません。ただ、その場合「これは私じゃなくてもいいね」と思うのではないでしょうか。

また、たとえ形式的に3つの選択肢が用意されていても、そのうち 1つしか現実的な選択肢がないとすれば、それはプレイヤーが選択しているとは言い難いと思います。
例えば、ほぼすべてのケースについて、この状況だとBしかありえないし、あの場合はAしかありえないなどです。これではシステムやルールに「選ばされている」とプレイヤーは感じてしまいそうです。
プレイヤーはそれぞれの選択において、分かりやすい報酬とリスクを提示された上で判断できる必要があります。これを自由な選択としました。

昔、オダギリジョー氏が出ているクレジットカードの TVCMで、いくつかのカードを持たされて「どうする、俺!?」というものがありましたが、まさにあの感じ。これはボードゲーム的体験の核の一つになっているのではないかと考えています。

もちろん、選択の結果ではなく、ランダム性によって偶然ドラマができることもあります。既に今回の企画で話題にも上がっている「人生ゲーム」はまさにそれで、自分で運命のルーレットを回し、自分の仮の人生と偶然を重ねて見るから盛り上がるのでしょう。
いずれにせよ、「これは私だからこうなったのだと感じられること」がドラマ性において重要と考えます。それを「ルーレットを回す」というアクションで担保するのか、あるいは「思考の結果何かを選ぶか」の差です。これは良し悪しではありませんが、私たちの提案したいボードゲームは「選択の結果」を重視しています。

引き出したい言葉
「うーん……どっちにしようかな……」
「あそこであれしとけばよかったなぁ……」


2. 他者への影響

そのプレイヤーの選択によって、そのプレイヤーの報酬とリスクのみが確定するのであれば、他プレイヤーにとってあまり関心のあることではありません。それはもはや対岸の火事であり、ときには早々に諦めてしまうことを招きます。

しかしながら、彼が変なことをするばかりに、私が大変なことになる。彼女の一手で状況が激変する。いわゆるソロプレイ感のないゲームは、ここのウェイトがとても大きく、だからこそドラマを生みやすいと思います。

引き出したい言葉
「えー、それだけはやめてー!!」


3. 予測不能性

前述2 つの事項に密接にかかわってくるところですが、予定調和の連続は退屈です。
そのためには、「ランダム要素があること」、「相手の情報が見えないこと」、「それぞれの一手が他の手に及ぼす関係性」が必要ではないでしょうか。
最後は前述とほぼ同じ事の繰り返しですが、もう少しだけ具体的に。
これはA が出されているとき、 Bが出されるとAにデメリット orメリットがある、のような物が数種類用意されているということです(関係性が多すぎて覚えられないのは逆にダメですが)。
例えばスカルキングにおける 3すくみの関係などです(スカルキング>パイレーツ>マーメード>スカルキング)。
これにより、心の中では可能性があることを理解しているけれども、「今出せないはず!」⇒「出せますけど!?」のような流れが生じ、ドラマが生まれると考えています。

予測不能性という言葉は少し的を外しているかもしれません。
より正しくは、予測できないことはないのだけれども、「たぶん大丈夫だろうと思ってしまう状況」を作り出せるか、ということです。

引き出したい言葉
「そのカードあったのかー!!」
「ふっ……計画通り!」


4. 緩急

「最初から最後までクライマックスだぜ」という有名な台詞を、仮面ライダー電王のあるキャラクターが叫びました。しかし、もはやそれはクライマックスではありません、平時です。
もし名作「暴れん坊将軍」に戦闘シーンしかなければ、視聴者からすれば退屈と感じてしまうでしょう。あの話は、普段は穏やかで荘厳な雰囲気のある将軍様が、ひとたび悪人と見れば豪快に夜討ちでぶった切るのがたまらないわけです。
つまり、ドラマには起承転結、少なくとも「緩急」が必要と考えます。

ゲームで考えるとどういうことでしょうか。
カードゲームであれば、ある程度、効果の強弱をピーキーにすることがそれにあたるかもしれません。何もない時は淡々と進むけど、ひとたび何かが起こるとてんやわんやする。ここには忘れられないドラマが生まれる可能性があります。

また、プレイヤーを「油断させる仕組み」があると、なおよいと思います。
例えば、ククのカンビオにおける「猫」の役割。この子は実にいい仕事をします。通常カードを交換して一安心、となったところに猫の呪いで遡って脱落してしまうのです。これは驚きや悔しさ、そして面白い展開を生みやすいですね(予測不能性に近い話ですが)。


5.リプレイ要素

ゲームの上でドラマ性を生み出そうという試み上、どうしても運の要素が絡みやすい。場合によってはドラマが生まれず、部分的にしか楽しめないかもしれません。
そのため、1プレイを短く、具体的には「5分以内」で終わる。そして「ちょっとだけ考える」要素を与えて、「えっ、もう終わり!? 物足りない!」という感情を引き出すようなゲームデザインできると素敵だと思います。その時に「考えさせる」という点はとても重要で、「まずゲームとして面白そうだ」と思ってもらわなければ、どんなに短くてもリプレイされないでしょう。
もしくは、ドミニオンのようなバリエーションを持ち、他のパターンも試してみたいという方向に誘導することも有効ではないかと思います。

そしてもちろん、1回のプレイで、起こしたい事象の発生確率をあげるのも重要だと思います。ただし、1通りのドラマしか起こりえないゲームなのであれば、それはまだまだ改善の余地があるとも思います。
定義の通り、「様々な」予想外の事象がおこり得る状態であるからこそ、複数回のプレイが自然と促進される。多分それが、私の提案したいゲームです。

【まとめ】

●「作りたいものを作って発表していくことができる」人たちは、今後一層、自分らしさを磨いた作品を完成させて、世界でも「○○らしい作品だね!」といわれる日がくることでしょう。

●一方で、「誰に何をどんなシーンで」などを具体化して、提案型でゲームを考える人も増えていくのではないでしょうか。私自身、ボードゲームに対しての新しいニーズを発掘していきたいと思います。

●私の想定しているターゲットに対して、重要なゲームの要素の一つは「ドラマ性」です。ドラマ性とは「プレイヤー間の選択の結果、一部、あるいは全プレイヤーにとって、様々な想定外の結末を生む仕掛け」と定義しています。

●ドラマ性を生み出すには「自由な選択」「他者への影響」「予測不能性」「緩急」「リプレイ要素」が必要ではないかと考えます。

【最後に】

ここまで約7,000文字と、長旅にお付き合いいただきありがとうございました。
ゲームをまだ1つも完成させてもいない人間の思いつきのような点が多々あり、諸先輩方からすれば既に分かっていることや、的外れかもしれません。
ただ、私自身の中で「何がやりたいのか」、「どうしていきたいのか」を考える良い機会になりました!
このような機会を与えてくださった、 I was gameのカレーさんには心から感謝を申し上げたいと思います。

これからも、当ブログと、ボドゲ制作サークル「こたつパーティー」ともども、よろしくお願いいたします。
posted by らりお at 00:44| Comment(0) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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