2015年01月14日

【コラム】長考問題を解決する3つの方法

【新年のご挨拶】

みなさま、あけましておめでとうございます。
2015年も、当ブログ「ボドゲ神拳〜おまえはもう考えている〜」をよろしくお願いいたします! さりげなくブログタイトルが変わっておりますが……キャッチーなものにしようとして、アドバイスをいただいた結果、こうなりました。まじめなことを言うときは、バカな感じを出した方がいいという言葉が胸に響いたわけです!

では、今年も頑張っていきましょう。

【それぞれの長考に関するスタンス】

さて、今回はボードゲームにおける永遠のテーマ、「長考」について考えてみたいと思います。考えることについて考えるなんて、もはや哲学的な世界に突入している気がしますね。

ボードゲームをしていると、「あいつの手番になると常に待たされて、ゲームテンポが悪くなる」ということが起こり得ます。そうすると、「こいつとはもう同卓したくねぇな」とか、ひいては「このゲーム面白くなかったな」と思ってしまうかもしれません。これはなかなか不幸なことですよね。なぜこう思ってしまうのでしょうか。

それは、「待つ」という行為は、待つことが自分の利益になる場合を除き、非常にストレスを受けやすいためです。また、待つ時間が決まっていればそのストレスは軽減されますが、どれくらい待てばいいのか予測がつかない場合のストレスは非常に高くなります。
例えばディズニーランドで2時間並ぶのはOKなのです。なぜなら2時間待てばアトラクションという利益に必ずありつける。そもそも並ぶ前に、今2時間待ちという表示を見て、その負担と利益を天秤にかけて並んでいるわけですから、受けるストレスは自然と低くなります。

一方、スーパーの並んだレジ列のパートのおばちゃんが偶然新人で、もたもたとレジ打ちされると、ものの2〜3分でストレスがたまります。ディズニーランドでは2時間も待てるのに関わらず、です。

つまり、これはこうも言えるでしょう。

人は「スムーズに行くだろう」という自分の予測を裏切られると、ストレスが溜まる

さて、ボードゲームに戻ってみると、長考されてストレスがたまるケースは、ものの見事にレジ打ちのおばちゃんケースであると言えます。
しかも待たされた挙句、待っているのは自分にとってより辛い展開になることが多いのです(たくさん考えて導き出された手なわけですから)。また待っている間も、どのくらい待てばいいのか分からない。

一方、長考する側の論理についても考えみなければいけません。長考する人の立場からすると、即座に手番を進める人は「こいつなんも考えてねぇな」と映るかもしれません。
また、彼らからすれば「ゲームに勝つために最善の努力を尽くすのは当たり前のこと」なのです。別に手番の時間がルールで決まっているわけでもないのですから。

例えば、将棋において、あまり考えずに打てば即座に詰んでしまうでしょう。これはたとえ勝てたとしても全く面白くない。なぜなら、将棋はお互いに駒動きを読んだ上で作戦を立てるゲームだから。打った手に対して「なるほど、そうきたか。ならばこれはどうだ!」と駒で語り合う、そんな心の機微を楽しみたいのかもしれません。

つまり、それぞれのボードゲームに対する考え方、たとえば「どこまで勝ちたいのか」「その際にどこまで対戦相手に配慮すべきか」が異なるため、「長考の是非」という問題が起こるわけです。そして、様々な面識のない人たちが同卓する可能性がある、特にオープンゲーム会で問題になりやすい事象であるかと考えられます。
(親しい間柄であれば、嫌なことは嫌と言えますからね!)

【長考問題を解決する3つの方法】

この問題について、漏れなく、被りなく解決方法を見出していきましょう。
大きく分けて3つ。ゲームの問題、場の問題、そして人の問題です。

1. ゲームデザイナーの想いを見える化する

そのゲームは長考を前提としているのか、あるいはテンポ重視なのか、ここをゲームデザインとして規定していれば、そもそもこの問題は起こりません。
例えばウボンゴでは砂時計が落ちるまで、と明確に決められていますが、多くのボードゲームでこのようなルールはなく、基本的には遊び手にゆだねられています。そのほうが堅苦しくないし、そもそもガチガチにルールで縛られるとそれはそれで、遊びにくかったりします。

そこで、そもそもこのゲームは長考が許されているのか、そうでないのか。作者としてはどうなのかという点を明確にしてはどうでしょうか。

例えばパッケージに「長考OK」マークを付ける。そうすることで、このゲームをやる人は「長考を許容できる人」という暗黙の了解ができるかもしれません。
もしくはゲームデザインとして、「長考」について組み込んでしまうのも一策です。例えば、時間をかければかけた分、一手の質は上がるかもしれないが、その分リスクを負わなければならない仕組みがあるなど。こうすることで、長考しない側も単に待たされ損ではなく、相手がリスクをとっている分、納得できるのではないでしょうか。(分かりやすいのは将棋や囲碁の競技シーンの持ち時間制)

ゲームを作る側として、他人の手番中であるダウンタイムは常に気にするポイントですが、「そもそものターゲットを示しておく」ということがより重視されていくのではないかと思います。これはじっくり考えてやってほしいゲームなのか、それともカジュアルにテンポよくワイワイやってほしいのか。そんな作者の想いを見える化するだけでも、ずいぶんと長考問題が減る気がします。


2. 場の方向性を明確にする

カジュアルなゲームなのに異様に考える時間が長い人がいるから問題なんですけど……と、そんな声が聞こえてきそうです。
ゲーム単位で規定するのが難しければ、場にルールを設けるのが最も手っ取り早く効果的だと思います。

長考問題が起きやすいのはオープンゲーム会だと言いました。首都圏ではありがたいことに非常に多くのオープンゲーム会が開かれています。私も少ないながら色々なゲーム会に参加させていただきますが、ずいぶんとカラーが異なります。
ただ一方で、最低限のルール(勧誘活動禁止、電源ゲーム禁止etc)以外についてはあまり触れられていないと感じています。

「全員が気持ちよく、楽しくプレイをする」というのはどこのゲーム会でも一つの目指すべき姿であると思います。長考する人、しない人が混ざってしまい、これによりストレスが溜まってしまう人が多く出てしまうのであれば、対策を講じるのもありでしょう。

例えば、主催者メッセージとして「このゲーム会はじっくりと1つ1つのゲームを味わう場」とするのか、あるいは「とにかくたくさん色々なゲームを遊んで、気に入ったら自分で買ってもらうお試しの場」とするのかを表明するだけでも効果がありそうです。

ゲーム会のカラーを作っていくのは、間違いなく主催者とそれに賛同する参加者です。
幸い首都圏にはたくさんボードゲーム会がありますので、自分にあったゲーム会に参加されるのが、お互いにとって楽しい時間を過ごせることになるでしょう。

ゲーム会単位のルール決めが難しければ、ゲーム卓単位で、ゲームに慣れたプレイヤーがある程度規定してあげるのも有効だと思います。例えばインスト時に、「これはちょっと考えるゲームだよ」と紹介するとか、「結構運要素が強いテンポゲーだから、サクサクやってみよう」とか。
また、ゲーム前にどの程度ゲームに慣れているプレイヤーなのか、どういうゲームが好きかなど、同卓者のプロファイリングをしておくことはとても重要だと思います。ゲーム会で名札にゲーム歴、ゲーム嗜好などをスタンプで押せるように工夫されているところもあります。とても素晴らしいやり方ですね!


3. 相手の立場になってみる

ボードゲームに時間に関するルールがほとんどないのはなぜでしょう。
ゲーム会に長考に関するルールがないのはなぜでしょう。
結局それは、ゲーム製作者が、ゲーム会主催者がプレイヤーを信頼し、その選択を委ねているからだと私は考えます。ボドゲの楽しさの一つに、対面コミュニケーションを楽しむことが挙げられると思いますが、実は時間とコミュニケーションは相反関係にあると私は考えています。
時間を明確に規定されると、「遊び」が生まれにくいのです。
ですので、競技シーンでない限り、一手10秒などの定量的な時間拘束は本来の楽しさを潰すものであると思います(その時間拘束がゲームシステムに大きく関連する場合を除いて)。

結局、楽しさの源泉は人にあり、なのです。
ボードゲームはソフトで、人がハード。ハードの意識が変わらなければ物事はあまり変わらない。

具体的にどういう意識を持てばいいか。
私自身出来ていないことも多いのですが、結局のところ、「自分の行動が相手にとってどう映っているかを考えてみる」。これに尽きると思います。

最初に申し上げましたとおり、長考されるのが嫌なプレイヤーは、「予測を裏切られた」と感じ、「どれくらい待てばいいのか先が見通せない」ことにフラストレーションを感じます。
そのため、テンポを崩してしまう場合は「すいません、20秒ほど時間ください!」と声掛けするだけで、だいぶ印象は変わってきます。さらに言えるなら「これとそっちで迷ってるんだよなー」とか言うと和らぎますね!

たまにいらっしゃいますし、私も没頭しすぎてやってしまうことがあるのですが、「何も言わずに急に考え出す」、これは最悪です。人はとてもわがままで、自分の知らないところで何かされるのがとても嫌う傾向があります。例えば、電車の中で女子高生2人が仲良く喋っているのは気にならないのですが、1人で携帯片手に喋られるとイライラします。マナーという刷り込みもありますが、情報の非対称性を人は嫌う性質があるのです。

何が言いたいか。一人で考え込む前に、周りをまず見てみましょう。ハードであるプレイヤーがそのボードゲームのほんとのコアなのです。私達が本当に良いゲームだなぁという感想を抱くとき、それはゲームシステムの素晴らしさもさることながら、全員が笑顔でプレイできたことに価値があると、私は思います。

一方、つい長考しがちな人に対しては「どこで悩んでいるの?」と聞いてあげるのも良い配慮です。私もよく悩んでしまうので、聞いていただけてアドバイスをいただけると、いつもありがたい気持ちになります。
特にキングメーカーをしてしまうのが一番嫌なので、最下位なのに考え込んでしまったりすることもありました。そんなとき「別に気にしなくていいから好きにやっていいよ!」と笑顔で言われると、めちゃくちゃうれしいですし、救われます。

長考と一言でいっても、本当に色々なシチュエーションがあります。ゲームに長けた経験者であればあるほど、この人は何に悩んでいるのだろう、と相手について考え、心にゆとりを持ち、手を差し伸べてあげることができるのではないでしょうか。

結局は気持ち次第。もしこれを読んでくれた方がいて、何かひとつでも思い当たることがあれば、少しだけ相手を気にしてあげてください。
私も書いていて、「うわ―自分できてねぇな」と思うことが恥ずかしながらたくさんありました!

【まとめ】

●人は「どれくらい待てばいいか分からない」、「待つと思っていなかった」場合に大きなストレスを感じる傾向にある

●一方、「ゲームに勝つために最善を尽くすのは当たり前」「なんであまり考えてプレイしないのか」と感じる人もいる

●ボドゲに対する考え方は人それぞれだが、そんな様々な人が同卓する可能性があるオープンゲーム会で、長考は特に問題になりやすい

●ゲームデザイナーの想いを示すことで、遊び方が共通化するかもしれない

●そのゲーム会のビジョンを出し、共感する人を集めることで問題が起こりにくくなるだろう

●でも、結局は人。自分が長考するとき、相手が長考しているとき、少しだけ同卓しているプレイヤーについて考えてみよう

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posted by らりお at 14:03| Comment(0) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする