2015年09月24日

協力型ボードゲームの奉行問題について考えてみる

いま、僕は協力型のボードゲームを考えている。
正確にいえばカードゲームだし、来年春のゲームとして採用されるかどうかは定かではないが、とにかく考えている。協力ゲームといえば、パンデミックやドラスレなど様々なゲームが思い浮かぶが、同時によく提起されることとして、「奉行問題」があると思う。

※下記の記事は、この件について具体的に書かれているので大変参考になる。
http://gamereview.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/blog-e6c4.html

これは、チームのある一人のメンバーが強烈なリーダーシップをとり、各メンバーに助言(時には指示に近い)することで、その中心メンバー以外は操り人形となってしまうことである。その結果、あるプレイヤーにとってゲームが全く楽しくない、となる問題を指す。
なぜこれが起こってしまうのか。そこには単純な2つの側面がある。

1つは人の問題だ。
僕は、本当はこの問題が大きいと思っている。
前述の記事では、問題はジョンというよりもゲームにある、といっているが、ジョンとその仲間たちが一緒にゲームをしていること、この「マッチング」がそもそも良くない。
これについては、僕はこのブログで、「ゲームをする目的を合わせて、一緒にプレイする人を決めることの大切さ」を書いてきたので、特に書くことはない。
ジョンのようなプレイヤーは、一緒に遊ぶ相手と楽しむことより、ゲームに勝つことが重要だと考える人だ。そういうプレイヤー自体が悪いわけではないが、同じ属性のプレイヤー同士で遊べばいいと思う。


もう1つがゲームそのものの問題だ。
前述の記事では、「協力ゲームには答えがある。その答えが分かる人が偉く、説得力も出るため、他の人は従うしかない」という問題点を挙げている。
確かに、協力ゲームは基本的に無人のシステムと対峙することになる。それはあくまでシステムであり、無限に変化する人間の思惑が入らない。そのため、何かしらの最適解が出てしまう、というのは納得できることだ。

さて、これに対する解決策として、僕は2つの結論を出した。

1つはシンプルに「ルールで縛る」である。
つまり、何かを制限することが必要だ。
ジョンが自由に指示できる余裕を与えてはいけない。各自が考えなければならない要素をいれることだ。それも、「とってつけたもの」ではなく、ゲームのシステムとして重要な要素となる形で、である。

最も分かりやすい制限は、時間と情報量だ。
与えられた情報量を処理する時間を制限することで、物理的に指示や助言をほぼ不可能にする。これによって、各プレイヤーはある程度自立的に考えなければならない。
スペースアラートはこの方法で緊張感ある協力ゲームになっている。

他の制限は、コミュニケーションそのものだ。
ただ、協力ゲームの醍醐味であるコミュニケーションによる協力をなくすと、一方で魅力が半減してしまうので、工夫が必要だ。
例えば、HANABIは伝えられる情報が決まっている。それ以外は言ってはいけないから奉行問題から解放されている(ただし、あとからダメだしされる可能性は高い!)。

もしくは、各自ができるコミュニケーションの手段をバラバラにし、役割分担するとかはどうだろう。例えば、Aさんはジェスチャーしかできない。Bくんは口パクしかできないとか……。

さて、そんなちょっとバカっぽいことを考えているうちに、実はもっと大切なことに気がついた。

奉行問題が起こるのは、結局、「勝ちたい」という気持ちの強さが起こしているのではないだろうか。
もちろん、全員のプレイ目的はクリアにある。クリアのために協力するのだから、これはある意味当然のことだ。

しかし、そんな中、ちょっと逆説的なのだが、
「目的から目を逸らさせる」を2つ目の結論としたい。

つまり、勝利条件に常に目が行くわけではない構造になっていることが、奉行問題からの解放においては、重要ではないかと思ったわけだ。
各プレイヤーのあたまの中では、もちろん勝利条件は分かっているし、全員に共有されている。しかし、ゲームの過程そのものが楽しく、そこに熱中できること。それが実はこの問題解決にとても有効ではないかと考えた。

例えば、ドラスレというゲームを思い出してみよう。
あのゲームは最終的にドラゴンを倒すという明確で唯一の目的があるし、それがクリアの条件だ。
しかし、ゲーム中のほとんどは自分のキャラクターを育てるという部分に焦点が置かれている。そして毎手番プレイヤーはダイスをふり、その数値に一喜一憂するお楽しみがある。

つまり、ドラゴンを倒せるかどうかという目的と、それに対する手段である各キャラクターの成長は、もちろんつながっているのだが、常にドラゴンを倒してやるぞ!と意識しているわけではない。それ以外のお楽しみ要素に、意識が集中するのだ。
また、仮にドラゴンに負けたとしても、各キャラクターのこれまで起こしてきた行動の歴史があり、そこにはストーリーが生まれていて、十分に楽しめている。だから、悔しくはあるけれども、実は負けることにそこまで落胆はない。
これは目的と手段の緩い分離、といってもいいかもしれないし、結果の嬉しさ(悔しさ)とゲームの楽しさを分ける、といってもいいかもしれない。

この道をたどる場合、協力ゲームにおける運要素はかなり重要なウェイトを占める。
そしてそれは、ある程度ピーキーであることが重要だ。
これが過程の部分における楽しみとなり、毎回の自分の貢献になる。
運要素が多いと運ゲーだと批判されがちだが、これがなければどうしても目的に目が向き過ぎてしまう。つまり、きっとジョンは計算を始めるだろう。
「2ターン目でこれだけ育っていればドラゴンを倒せる確率は○○くらい上がるから今ここにいったほうがいいよね」と、こんなことを言い出すに違いない。
運は見通しを悪くするという面で、こういったプレイヤーには効果的かもしれない。
ジョンを一喜一憂させ、現在に目を向けさせるのだ。
そのために運要素は必要だと思う。

また、ある意味でのコミカルなテーマ設定も、これに一役買ってくれるかもしれない。
パンデミックやフラッシュポイントは、テーマ的にはシリアスで、そのためプレイヤーは英雄になりたいと思う。結果、プレイヤーの目線はかなり目的達成に寄りがちだ。
一方、カナイセイジ氏の「成敗!」はどうだろうか。
もちろん江戸にはびこる悪人を退治するというテーマだけを見ればシリアスなのだが、「えれきてる」「実は善人」などのお茶目な要素が、場を和らげてくれる。つまり、楽しむことそのものに目を向けさせてくれるのだ。
同じことはスペースアラートにも言える。このゲームは宇宙船に迫りくる敵を排除するシリアスな雰囲気の協力ゲームだ。しかし、いずれかのプレイヤーが数ターンに一回コンピューターにタッチしなければならない。なぜかって? スクリーンセーバーが勝手に作動するためだ!!
おそらく、こういう緩急の要素が場を和らげる一つの秘訣なのではないかと思う。
いわゆるコミックリリーフというやつだ。

奉行問題から解放され、各プレイヤーがのびのびと遊べる協力ゲームは、過程と結果がゆるく分離されているもの、と結論づけたい。


協力ゲームの楽しさは、緩い共闘による緩い一体感だと、僕は思う。
各自が役割を認識して、楽しみながら貢献し、互いに緩くサポートし合う。その結果、勝てるかもしれないし、負けてしまうかもしれない。どちらにしても、「楽しかったね!」と言えるもの。それが、「良い協力ゲーム」なんじゃないかな。

そういう意味で、身内で遊ぶモンスターハンターは、デジタルゲームで少し毛色は違うけど、よくできた協力ゲームだと思う。
知らない人と遊ぶモンスターハンターが個人的に辛いと感じるのは、結局、報酬という目的を目当てにプレイしているので、負けて良かったとはならないかならなんだよなぁ。

そんなことを考えながら、今日も協力型ボドゲの制作に頭を悩ませている、らりおであった。まる。
posted by らりお at 12:36| Comment(0) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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