2016年01月06日

ゲームにおける14の「気持ちいい」をまとめてみた

2016年、明けましておめでとうございます。
ゆっくりペースですが、適度に更新していこうと思いますので、
よろしくお願いします!

さて、GM春に向けてゲームを制作中ですが、最近よく思うのは
「ゲームをやる理由って、結局気持ちよくなりたいってことじゃないの!」ということ。気持ちよければ、自然ともう一回やりたくなりますよね。

そういうわけで、「個人的に気持ちいいと思うゲームの瞬間」を雑記的に書き出してみることにしました。2016年も超主観的です。
ゲーム制作の折に、何かのヒントになる……といいなぁ。


「当たる」
当たるには2つの気持ちよさがある。

1.当たりを引く
ここでAを引けると嬉しいときに、Aを偶然引けた。
遊戯王、カイジでは茶飯事。いわゆるディスティニードローだ。
これは言いかえれば「願いが叶った」といえる。
望んだことが運命的にかなうと、それは気持ちよさにつながる。
ランダム要素を適度に入れることは、気持ちいいを作るためにも重要なのだ。

一方で、これは「願い」がなければ成り立たないとも言える。
「あれが来たら嬉しい」という状況がそのゲームで起こりえるかどうかは、ひとつのチェックポイントかもしれない。
ビンゴがなぜ気持ちいいのかは、ここに集約されている。

2.予想が当たる
運の要素と引き離して考えると、「推理、予想が当たる」のも気持ちいい。
予想と結果のブレがない状態は気持ちいいものなのだ。
それはまるで、自分の思い通りにできた感覚に似ている(後述する操作に近い)。
「犯人は踊る」で、探偵勝ちする気持ちよさはまさにこれだし、クイズに正解するのもこれだ。

「つながる」
これも2つに分けられる。

1. 事象がつながる
最初にAをしておいたお陰で、あとあとBが活きてきた。
つながることには、気持ちよさがある。
コンボによるずっと俺のターン、伏線が回収されるようなドラマ展開、死亡フラグは気持ちいい。
「ドミニオン」において、「村」でアクション権を増やし、「鍛冶屋」で手札を増やし、8金属州は、後述する「増える」も伴って気持ちいい。

2.人同士がつながる
あうんの呼吸、ツーカーは気持ちいい。
つながる、というより「通じる」「通じあう」と言った方が的確かもしれない。
「ごきぶりポーカー」で、リーチ状態の人に対して、全員で逃げ道をなくすようにカードを回すのである。やっている方は気持ちいい。やられた方はたまったものではないが。
「HANABI」などコミュニケーション制限系の協力ゲームの楽しさはここにあることが多い。「人狼ゲーム」における狂人と狼の関係もこれだ。

「勝る」
相手より優位に立っている状態は気持ちいい。
ドヤ顔は気持ちよさの証明なのだ。
ただし、ここには一つ懸念事項がある。
テーブルの反対側、相手が明らかに不利であることを認識している場合、それは相手にとって気持ち良いことではない。それも、勝ち目のない状況であればなおさらだ。
そして、相手と自分は1つのゲームでつながっているため、「相手が気持よくなければ自分も気持ち良くない」ということが、往々にして起こってしまう。ゲームは誰と一緒にやるかによって楽しさ変わるといわれる所以である、たぶん。
つまり、明らかに一方が優位である状態は、ゲーム全体としてみると気持ちよくないかもしれない。
しかし、逆に言えば、「明らかでなければいい」のだ。
例えば、相手に見えない手札の部分で優位性があり、「ぐふふ」と心の中でニヤついている自分。実はこれが一番気持ちいいのではないか。
非公開部分での優位性をプレイヤーが認識できるかどうかは、気持ちいいチェックポイントだ。

「壊す」
壊すことは、まず動作として気持ちいい。
壊すというのは、つまり100をゼロにしてしまうことだ。
私はシムシティで、まともな街を作れたことはないのだが、怪獣を出現させて街を壊すことだけは気持ちよかった。
壊すことは、自分の影響力を目に見える形で、分かりやすく表すことなのだ。世界を支配したくなる魔王と同じだろう、きっと。
壊す対象は積み上げられたものであればあるほど、気持ちいい。
余談だが、うちの8か月の息子は私が作った積み木タワーを崩しては喜んでいる。たぶんこれは本能的にそういうことが気持ちいいのだろう。
ジェンガやワニの歯を抜くやつの楽しさに近い。

ここから転じて、「ひっくり返す」のも気持ちいい。
壊すが100⇒ゼロだとすれば、ひっくり返すはマイナス100⇒プラス100にすることだ。
ひっくり返す、つまり逆転するのも気持ちいい。圧倒的不利な状況を覆せた瞬間は最高に気持ちいいのだ。
また、伏せられたカードをひっくり返す(めくる)のは、動作として気持ちよさを秘めている。ここには前述の「当たる」気持ちよさもあるのだが。
同じ理由かどうかは分からないが、鬼オヤジのちゃぶ台返しも見ていて気持ちいい。

「届く」
高い所に何かが置いてある。
届きそうだが、ギリギリ届かない。でも頑張ったら、なんとか届いた。
その瞬間はとても気持ちいい。
これはゲームの勝利という目標に対するハードルの設定の話である。
仕事だと、目標にはストレッチゴール(少し頑張れば届く目標)を設定するのが良いといわれる。問題は設定者にとってストレッチゴールと「認識」していても、当事者にとってそれが圧倒的に高く認識されてしまうことである。
このちょうどいい難しさを作るために、私はいつも四苦八苦する。その大きな原因はこの認識ズレが大きいのだ。

「苦しむ」
苦しむのが気持ちいいというのは、矛盾している気がするが、ドMという言葉があるように、これは紙一重なのだろう。
ゲームにおいてこれは、悩ましい状況、困難を意味する。
なぜ悩み、問題解決に取り組んでいることが気持ちいいのか。
1つはそこにかすかな希望の光が常にあるからである。どう考えても無理という状況で苦しむのは全く気持ちが良くない。それは拷問だろう。
考えて打ったその先に、一筋の光があり、そこに「届く」かもしれないからこそ、今は苦しむことを選ぼう。しかし、そうこうしているうちに、それ自体がなんだか気持よくなっていくという、不思議な現象である。
「届く」の節で挙げた理由と同様に、この一筋の光を与え続けるのが難しい。
1つのアンサーは気の抜けない状況を作り出すことだ。
世界の七不思議デュエルにおける軍事と科学勝利は、相手に達成されたその瞬間に、これまで築いてきた勝利点など関係なく、敗北させられてしまう。圧倒的不利な状況でも、「相手のミス次第であるいは…」という希望を抱かせれば、苦しむことに快感が残るだろう。

「揃える」
何かが揃うのは気持ちいい。
ペプシコーラでひたすらFFやSWのボトルキャップを集めたことがあるだろう。
どうせなら全て揃えて眺めたいと思うはずだ。
あるいは、ワンピースの15巻だけがない状態に我慢できるだろうか。1〜70まで全て連番であることは気持ちいい。
セットコレクションのゲームが気持ちいい理由である。

「無くす」
部屋が片付くのは気持ちいい。
仕事が片付いても気持ちいい。
何かを無くしていくというのは、それが不要なものである限り、気持ちいいのだ。
ババ抜きが気持ちいい理由は、「当たる」「揃う」「無くす」の組み合わせだからだ。
ぷよぷよ、ツムツムの気持ちよさは、当たるのかわりに連鎖という形で、「つながる」が付随している。

「増やす」
逆に必要なものがどんどん増えると気持ちいい。
これは大体「つながる」とうまく組み合わさっていて、加速度的に増えていく演出がある。拡大再生産が気持ちいいのはこのためだ。
宝石の煌めきは、序盤はジリ貧で全く点数を稼げないが、ある瞬間を超えると急速に場が動き、1手番差で勝負が決まる状況になる。
宝石という嬉しいものが、どんどん増えるからだ。

「流れる」
何かがスパッと切れるのは気持ちいい。
それは、淀みがないからだ。
リズムよく何かが刻まれているのは気持ちいい。
たまねぎのみじん切りも、プロの料理人がやっていると気持ちよく見ていられる。
つまり、テンポがいいものは気持ちいいのだ。
UNOやリズム系ゲームの面白さはこの刻む楽しさと言える。

「見つける」
何かを見つけるのは気持ちいい。
「ウォーリーを探せ」をついついやってしまうのは、人ごみの中から、あの「赤白ボーダー男」を見つける気持ちよさを味わいたいからだ。
物理的な発見だけでなく、新しい戦術、組み合わせ、を見つけた時も気持ちいい。
TCGのデッキ構築を考えたくなるのは、この気持ちよさがあるためだ。
また、ワーカープレイスメント系ゲームは多様な勝ち筋が用意されているため、この見つける気持ちよさを提供していると言えるだろう。

「操作する」
自分以外の何かを動かすのは気持ちがいい。
それが自分よりはるかに大きいもの、力が強いもの、普通では動かせないものであればあるほど、それは気持ちがいい。
ジェット機を操縦する、社長に何かをしてもらう、経済を動かす。
これは「勝る」や「壊す」の感覚に似ている。
ゲームに寄せて考えると、「作戦がうまくいく」のは気持ちがいい。
自分の作戦にはまって相手がその通り動いた結果、自分が優位になるのは気持ちがいいだろう。つまり、「してやったり」と思えるかどうかだ。
インタラクションの多いゲーマーズゲームは、この気持ちよさの作り方がうまい。

「酔う」
酒に酔うのは気持ちがいい。
酔うというのは便利な表現で、人は様々なことに酔うことができる。
1つは自分自身に酔うのはとても気持ちいい。
「苦しい状況でもこんなに考えて最善策を模索している自分に酔う」ことはよくある。
そのためには気持ちよく酔える環境が必要だ。
綱渡りしながら酔いたいとは思わない。
見通しが良い大通りで酔いたいものだ。

また、ゲームそのものに酔うことも気持ちいい。
これは没入感ともいえるが、自分と何かを重ね、入り込むことで気持ちよくなる。
TRPGにおけるロールプレイは、その典型的なものだろう。

「訴える」
五感に訴えてくるものは気持ちいい。
例えば将棋や囲碁の駒や石を置く音は気持ちいい響きだ。
触覚からいえば、質感が気持ちいものがある。
宝石のきらめきの円形プラスチックチップはあれを重ねて、カチャカチャしているだけで気持ちがいい。
見ていて気持ちがいいのは、カルカソンヌやカタンなど土地が変化、発展していくものだ。


さぁ、私の作っているゲームには、どの程度気持ちよさがあるだろうか。
まとめていて思ったのは、気持ちよさがゼロサムではダメだという点だ。
ゲームプレイヤー全体の「気持ちよさの総和」が、ゲームする前より上回っているかどうか。良いゲームは勝っても負けても気持ちいいのはそういうことなのだろう。
posted by らりお at 17:41| Comment(0) | ボードゲームコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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