2015年03月11日

「枯山水」の成功をマーケティング的に分析してみる

久々の更新になります。色々多忙な時期で月1更新が限界ですが、細々とやっていこうかと思います!
さて、最近ボドゲに全く興味のなかった会社の先輩などから、「枯山水は当然やったの?」と聞かれて驚愕しています。ま、まさかこの人の口から「枯山水」という言葉が聞けると日がくるとは……!? いやはや、ヤフーニュースのトップに載るというのは、すごい認知効果があるのですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150304-00000036-asahi-soci

さて、非常にネットで話題になっている「枯山水」ですが、今更ながら、その理由について個人的な分析をしてみようかと思います。何かモデルをつくることができれば、第二、第三と矢を打ち、「ボードゲーム」というジャンルの普及につながるかもしれませんし!

順を追ってみていきましょう。

【そもそも、なぜこれだけメディアでとりあげられたのか?】

多少推測もありますが、大まかには以下の流れが考えられます

1. ボードゲーマー達が自身の枯山水プレイ画像をtwitterに多数アップ
2. 普段RTしない人も、見た目に反応してRTで情報拡散
3. Naverまとめなど他のキュレーションサイトに波及
4. 結果、メディア関係者など情報拡散のキーインフルエンサーの琴線に触れる
5. Yahooニュースのトップに取り上げられ、他メディア(TV、平面etc)も追随

キーポイントは大きく分けて3つあるでしょう。

@ プレイヤーが思わず写真に撮って共有したくなる仕組みがあるか

A 普段読み飛ばす人の目を止め、アクションを起こさせる面白さや意外性があるか

B キーインフルエンサーにメディア露出してもらうための要素を備えているか


このBの要素については、もちろん@と同様に「面白さ」「意外性」は必要なのですが、視点が若干、「利益」に寄ってくると思います。つまり、「記事製作者がPVを稼げそうと思えるか」、「そもそもテーマが分かりやすいか」、「自分のメディアの方向性と合うか」、「単純に儲かりそうか」、「コネクションがあるか」などでしょうか。

「枯山水」をこれにあてはめてみると…

@ 今回のゲームによる自分の成果が見えやすく、石のリアル感により本物の枯山水を作ったという満足感を醸成。記念に1枚撮っておこうという流れになりやすい。

A ソーシャルゲームの多くがファンタジー寄りの世界観が多い中、「枯山水を作るゲーム」という意外性がある。しかも、石が異常にリアル、良い意味で「バカっぽい」。だからこそ他の人に「これ見て(笑)」となりやすい。

B ヘッドラインが付けやすい。これまであまり注目されなかった分野であり、記者側から見ても意外性によるPVが稼ぎやすそう。見た目のインパクトで、誰が見てもとにかく分かりやすい


【マーケティング的に見てみると】

TVCMなど、従来のメディアによる企業による商品紹介は過去に比べてパワーが弱くなっています(それでも高齢者と子供には威力絶大ですが……)。
そのような状況の中で、広告をする際に重要なポイントは4つあると思います。

1. ターゲットを明確にして、彼ら彼女らの琴線が何かを調べて、提供する

いわゆる顧客インサイトを調べて、かなり焦点を絞った表現をしたり、まさに「あなたに向けてメッセージを届けています」という感じを出します。自分ごと化を進めるみたいな話ですね。


2. 突っ込み所を用意し、気になるやつになってしまう

普通のことを言っても既読スルーされるため、あえて変なことを言ったり、見せたりするわけです。ニコニコ動画などにアップされ、「公式が病気」タグがつきMADなどが作られ始めたりすれば、大成功ですね。最近だとキリンメッツのドラゴンボールコラボはかなりうまくいってそうです(飲みたいけど売ってない……)。


3. 見ざるを得ない場所で待ち構える

コンタクトポイントを考えるという話。アメリカの有名な例でいうと、ナイキの公園での広告。公園のごみ箱の後ろにバスケットゴールの四角い板を設置し、中央にナイキロゴを置いたところ、多くの公園で遊んでいる人が、ペットボトルなどをバスケットシュートし始める。ナイキはこの広告で売上を大きく上げたそうです。待ち伏せ作戦は結構有効ですね。


4. 第三者に勧めてもらう

口コミですね。家族、友人、メディア、権威のある人などから勧められると、企業から説明されるよりも納得感を醸成させます。


今回のケースでは、まさに2と4をうまく使えている点が成功要因といえそうですね。
私自身は1の方法で何かできるんじゃないかと思っていますし、3の待ち伏せ作戦もボドゲと親和性の高いジャンルに興味がある人を観察し、待ち伏せて情報を見せるのは有効だと思います。

【もう少しだけ要素を具体化してみると】

結局、どんなボードゲーム作れば「枯山水」みたいに成功できるの?
同じような方法をたどりたいなら、多分こういうことです。

プレイ中の画が「華やか」、「楽しそう」、「面白そう」の少なくとも何れか一つを満たし、誰にでもそれが伝わる分かりやすさ(インパクト)がある。ただし、顔出しの人そのものは写真に撮らなくてもいい(人を撮るとtwitterでは拡散しにくい。処理が面倒)

突っ込みどころのあるテーマにする。ボードゲーマー目線の突っ込み所ではなく、ボードゲームを全く知らない人たちにとっての突っ込みどころは何かを考える(枯山水は「渋すぎるボードゲーム」だったので、例えば「かっこよすぎる」「美しすぎる」などの形容詞+too muchなテーマが良いかも)。

制作者が本気になる(リスクをとる)。作品にとっての核となる要素については投資を厭わない(枯山水で、石がリアルでなければここまで話題にならなかっただろう)。

個人的には、この最後のエッセンスが非常に重要だと、改めて思いました。

制作会社であるNewGamesOrderさんは、枯山水の制作にかなりの投資をされたと聞いています。文字通り社運をかけた一大プロジェクトだったわけです。その結果、あの石ができ、枯山水の話題作りに大きく貢献しました。また、これだけ投資をされていて、回収のためにはかなりご自身の周囲などできる範囲の中で最大限の宣伝はされたはずで、そういった熱意も手伝い、メディアの方にもどこかでつながったんじゃないかなと推測しています。

やはり、「やると決める」「リスクをとったからには、意地でも回収する」という姿勢は、なかなか同人では難しいと思いました。

まだまだ課題は山積ですが、一歩一歩、やっていきましょう!

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2015年02月17日

どこまでルール化するべきか?

出張やら接待やらで、なにやらずいぶんと時間が空いてしまいましたが、私は元気です!お久しぶりでございます。
大阪GMもあと2週間を切り、かなり情報も出てきてワクワクしておりますが……残念ながら今回は行けず。東京春でも販売してほしいなぁ、チラッチラッ。

さて、そんな東京GM春も、実は入稿が近づいてきておりまして……現在説明書などを詰めたり、調整したりと、やること盛りだくさんな状況が続いております。
今回記事にして考えをまとめておきたいと思ったのは、そんな作業中にふと思ったことです。

はてさて、ゲームを作る時、どこまでを「ルール」とすべきなんだろう
逆に言えば、どこまでプレイヤーに委ねるべきなんだろう……?

そんなお話です。

【ルールと作者の想いは別で考える】

具体的に言いましょう。

例えば、各自の手番があるゲームで、ダウンタイムが長い(他プレイヤーを待っているだけの何もしない時間)という欠点を持っていたゲームがあるとします。これを解決する手法としては、「手番を同時処理にする」「シンプル化して選択肢を減らし、思考時間を減らす」「そもそも一手5秒などの時間的制約を設ける」などがあるでしょう。
最も簡単な解決方法は3つ目の時間的制約ですが、はたしてそれは本当に「ルール」とすべきなのでしょうか。

あるいは、複数回プレイすることでプレイ性が増すようなゲームの場合、3回勝った人が勝ち、という「ルール」を設けるべきでしょうか。

「ボードゲーム=コンポーネント×ルール」であるとすれば、ルールは単純計算では50%を占めていると言えます。ルールは確かに無形ではありますが、その価値は非常に重いものです。ある意味、ルールはプレイヤーにとっての絶対的指標であるわけですね!

ルールが多ければ多いほど、複雑であればあるほど、プレイヤーの自由度は減少します。逆に言えば、作者が意図していたことをやってもらえます。プレイヤーからすると、完璧にデザインされた空間の中でいかに最適解を見つけるか。なんとなく、ゲームの作者に出されたクイズに挑戦するような感覚かもしれません。

一方で、ルールがシンプルであればあるほど、そのゲームはプレイヤーへの依存度が高くなります。誰とプレイするのかなどの環境も大きく影響を与えるでしょう。作者が予期していない展開(ある意味失敗?)や遊び方が生まれるかもしれません。

そもそもルールの多い、少ないでそのゲームの良し悪しは決して判断できません。
しかし、ゲームを作る側からすれば、ある事象を「ルール」として採用するかどうかは、何かしらの基準が必要だとは思います(人によりそれぞれ基準は違うでしょうけど)。

私自身の一つの答えとしては、ルールはマストなもの。これがないとゲームにならない、システムにおける最低限のことであると考えます。
strong>このゲームをゲームたらしめているものは何か。これを把握しておく必要があります。それをエッセンスにして文章に要約したのがルールであると、私は定義することにしました。

逆に言うと、「こうプレイしてほしいなぁ」というものをルールにしない
ルールと作者の想いは別で考える必要がある、ということですね!
ここをルールとして設けると、プレイヤーは急に不自由さを感じます。
「なんでそうしないといけないの?」
「俺はこうやりたいんだけど……」
それまではゲームシステムと向き合っていたのに、急にゲームデザイナーにやらされているような感じを受けるのです(少なくとも私は……)。

【作者の想いはどうなる?】

「でも、こうしたほうが絶対に面白いと俺は思うんだよ!」
そんな作者さんもいるはずです。私ですけど。
作者の想いを伝える手段、それはルール化ではなく、「提案すること」ではないでしょうか。
例えば説明書の中に、「○○することもお勧めです」とオプションを示しておく。「これをやって!」と強制されるより、「これもあるけど?」と言われる方が受け入れやすいかも!

また、あまりに縛らず、様々な余地を残しておくことで、思わぬ遊び方がプレイヤーから生まれるかもしれません。そこから、次のゲームアイディアに発展するなんてことも、往々にあると思います。

私は基本的にプレイヤーが好きに遊んでくれて、それぞれの楽しみ方があっていいと思っている人なので、緩くするのかもしれません……。

でも、そういえば、JRPGとかは割と一本道ゲームが多い(ある意味ルールが多い)けど、洋RPGは自由度が高い(ルールが少ない)ですね。実は日本人はルールに沿って進みたいということを強く求めているのでしょうか。
そうすると、日本人のほうが変なルールにはシビアなのかもしれませんね。アメリカ人なら「なんだこのルール、無視しようぜ」っていくところが、日本人は「このルールの意味はなんなんだ……?」とか結構考えているイメージがあったりします。

そんなわけで、ルーリングにはシビアな目が求められている、今日の日本ゲーム市場なのであります(たぶん)。
考えて、でも考えすぎず、あなたのゲームを快適に遊んでもらう最高のルールを目指しましょう。
posted by らりお at 16:38| Comment(0) | ボードゲーム制作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

【コラム】長考問題を解決する3つの方法

【新年のご挨拶】

みなさま、あけましておめでとうございます。
2015年も、当ブログ「ボドゲ神拳〜おまえはもう考えている〜」をよろしくお願いいたします! さりげなくブログタイトルが変わっておりますが……キャッチーなものにしようとして、アドバイスをいただいた結果、こうなりました。まじめなことを言うときは、バカな感じを出した方がいいという言葉が胸に響いたわけです!

では、今年も頑張っていきましょう。

【それぞれの長考に関するスタンス】

さて、今回はボードゲームにおける永遠のテーマ、「長考」について考えてみたいと思います。考えることについて考えるなんて、もはや哲学的な世界に突入している気がしますね。

ボードゲームをしていると、「あいつの手番になると常に待たされて、ゲームテンポが悪くなる」ということが起こり得ます。そうすると、「こいつとはもう同卓したくねぇな」とか、ひいては「このゲーム面白くなかったな」と思ってしまうかもしれません。これはなかなか不幸なことですよね。なぜこう思ってしまうのでしょうか。

それは、「待つ」という行為は、待つことが自分の利益になる場合を除き、非常にストレスを受けやすいためです。また、待つ時間が決まっていればそのストレスは軽減されますが、どれくらい待てばいいのか予測がつかない場合のストレスは非常に高くなります。
例えばディズニーランドで2時間並ぶのはOKなのです。なぜなら2時間待てばアトラクションという利益に必ずありつける。そもそも並ぶ前に、今2時間待ちという表示を見て、その負担と利益を天秤にかけて並んでいるわけですから、受けるストレスは自然と低くなります。

一方、スーパーの並んだレジ列のパートのおばちゃんが偶然新人で、もたもたとレジ打ちされると、ものの2〜3分でストレスがたまります。ディズニーランドでは2時間も待てるのに関わらず、です。

つまり、これはこうも言えるでしょう。

人は「スムーズに行くだろう」という自分の予測を裏切られると、ストレスが溜まる

さて、ボードゲームに戻ってみると、長考されてストレスがたまるケースは、ものの見事にレジ打ちのおばちゃんケースであると言えます。
しかも待たされた挙句、待っているのは自分にとってより辛い展開になることが多いのです(たくさん考えて導き出された手なわけですから)。また待っている間も、どのくらい待てばいいのか分からない。

一方、長考する側の論理についても考えみなければいけません。長考する人の立場からすると、即座に手番を進める人は「こいつなんも考えてねぇな」と映るかもしれません。
また、彼らからすれば「ゲームに勝つために最善の努力を尽くすのは当たり前のこと」なのです。別に手番の時間がルールで決まっているわけでもないのですから。

例えば、将棋において、あまり考えずに打てば即座に詰んでしまうでしょう。これはたとえ勝てたとしても全く面白くない。なぜなら、将棋はお互いに駒動きを読んだ上で作戦を立てるゲームだから。打った手に対して「なるほど、そうきたか。ならばこれはどうだ!」と駒で語り合う、そんな心の機微を楽しみたいのかもしれません。

つまり、それぞれのボードゲームに対する考え方、たとえば「どこまで勝ちたいのか」「その際にどこまで対戦相手に配慮すべきか」が異なるため、「長考の是非」という問題が起こるわけです。そして、様々な面識のない人たちが同卓する可能性がある、特にオープンゲーム会で問題になりやすい事象であるかと考えられます。
(親しい間柄であれば、嫌なことは嫌と言えますからね!)

【長考問題を解決する3つの方法】

この問題について、漏れなく、被りなく解決方法を見出していきましょう。
大きく分けて3つ。ゲームの問題、場の問題、そして人の問題です。

1. ゲームデザイナーの想いを見える化する

そのゲームは長考を前提としているのか、あるいはテンポ重視なのか、ここをゲームデザインとして規定していれば、そもそもこの問題は起こりません。
例えばウボンゴでは砂時計が落ちるまで、と明確に決められていますが、多くのボードゲームでこのようなルールはなく、基本的には遊び手にゆだねられています。そのほうが堅苦しくないし、そもそもガチガチにルールで縛られるとそれはそれで、遊びにくかったりします。

そこで、そもそもこのゲームは長考が許されているのか、そうでないのか。作者としてはどうなのかという点を明確にしてはどうでしょうか。

例えばパッケージに「長考OK」マークを付ける。そうすることで、このゲームをやる人は「長考を許容できる人」という暗黙の了解ができるかもしれません。
もしくはゲームデザインとして、「長考」について組み込んでしまうのも一策です。例えば、時間をかければかけた分、一手の質は上がるかもしれないが、その分リスクを負わなければならない仕組みがあるなど。こうすることで、長考しない側も単に待たされ損ではなく、相手がリスクをとっている分、納得できるのではないでしょうか。(分かりやすいのは将棋や囲碁の競技シーンの持ち時間制)

ゲームを作る側として、他人の手番中であるダウンタイムは常に気にするポイントですが、「そもそものターゲットを示しておく」ということがより重視されていくのではないかと思います。これはじっくり考えてやってほしいゲームなのか、それともカジュアルにテンポよくワイワイやってほしいのか。そんな作者の想いを見える化するだけでも、ずいぶんと長考問題が減る気がします。


2. 場の方向性を明確にする

カジュアルなゲームなのに異様に考える時間が長い人がいるから問題なんですけど……と、そんな声が聞こえてきそうです。
ゲーム単位で規定するのが難しければ、場にルールを設けるのが最も手っ取り早く効果的だと思います。

長考問題が起きやすいのはオープンゲーム会だと言いました。首都圏ではありがたいことに非常に多くのオープンゲーム会が開かれています。私も少ないながら色々なゲーム会に参加させていただきますが、ずいぶんとカラーが異なります。
ただ一方で、最低限のルール(勧誘活動禁止、電源ゲーム禁止etc)以外についてはあまり触れられていないと感じています。

「全員が気持ちよく、楽しくプレイをする」というのはどこのゲーム会でも一つの目指すべき姿であると思います。長考する人、しない人が混ざってしまい、これによりストレスが溜まってしまう人が多く出てしまうのであれば、対策を講じるのもありでしょう。

例えば、主催者メッセージとして「このゲーム会はじっくりと1つ1つのゲームを味わう場」とするのか、あるいは「とにかくたくさん色々なゲームを遊んで、気に入ったら自分で買ってもらうお試しの場」とするのかを表明するだけでも効果がありそうです。

ゲーム会のカラーを作っていくのは、間違いなく主催者とそれに賛同する参加者です。
幸い首都圏にはたくさんボードゲーム会がありますので、自分にあったゲーム会に参加されるのが、お互いにとって楽しい時間を過ごせることになるでしょう。

ゲーム会単位のルール決めが難しければ、ゲーム卓単位で、ゲームに慣れたプレイヤーがある程度規定してあげるのも有効だと思います。例えばインスト時に、「これはちょっと考えるゲームだよ」と紹介するとか、「結構運要素が強いテンポゲーだから、サクサクやってみよう」とか。
また、ゲーム前にどの程度ゲームに慣れているプレイヤーなのか、どういうゲームが好きかなど、同卓者のプロファイリングをしておくことはとても重要だと思います。ゲーム会で名札にゲーム歴、ゲーム嗜好などをスタンプで押せるように工夫されているところもあります。とても素晴らしいやり方ですね!


3. 相手の立場になってみる

ボードゲームに時間に関するルールがほとんどないのはなぜでしょう。
ゲーム会に長考に関するルールがないのはなぜでしょう。
結局それは、ゲーム製作者が、ゲーム会主催者がプレイヤーを信頼し、その選択を委ねているからだと私は考えます。ボドゲの楽しさの一つに、対面コミュニケーションを楽しむことが挙げられると思いますが、実は時間とコミュニケーションは相反関係にあると私は考えています。
時間を明確に規定されると、「遊び」が生まれにくいのです。
ですので、競技シーンでない限り、一手10秒などの定量的な時間拘束は本来の楽しさを潰すものであると思います(その時間拘束がゲームシステムに大きく関連する場合を除いて)。

結局、楽しさの源泉は人にあり、なのです。
ボードゲームはソフトで、人がハード。ハードの意識が変わらなければ物事はあまり変わらない。

具体的にどういう意識を持てばいいか。
私自身出来ていないことも多いのですが、結局のところ、「自分の行動が相手にとってどう映っているかを考えてみる」。これに尽きると思います。

最初に申し上げましたとおり、長考されるのが嫌なプレイヤーは、「予測を裏切られた」と感じ、「どれくらい待てばいいのか先が見通せない」ことにフラストレーションを感じます。
そのため、テンポを崩してしまう場合は「すいません、20秒ほど時間ください!」と声掛けするだけで、だいぶ印象は変わってきます。さらに言えるなら「これとそっちで迷ってるんだよなー」とか言うと和らぎますね!

たまにいらっしゃいますし、私も没頭しすぎてやってしまうことがあるのですが、「何も言わずに急に考え出す」、これは最悪です。人はとてもわがままで、自分の知らないところで何かされるのがとても嫌う傾向があります。例えば、電車の中で女子高生2人が仲良く喋っているのは気にならないのですが、1人で携帯片手に喋られるとイライラします。マナーという刷り込みもありますが、情報の非対称性を人は嫌う性質があるのです。

何が言いたいか。一人で考え込む前に、周りをまず見てみましょう。ハードであるプレイヤーがそのボードゲームのほんとのコアなのです。私達が本当に良いゲームだなぁという感想を抱くとき、それはゲームシステムの素晴らしさもさることながら、全員が笑顔でプレイできたことに価値があると、私は思います。

一方、つい長考しがちな人に対しては「どこで悩んでいるの?」と聞いてあげるのも良い配慮です。私もよく悩んでしまうので、聞いていただけてアドバイスをいただけると、いつもありがたい気持ちになります。
特にキングメーカーをしてしまうのが一番嫌なので、最下位なのに考え込んでしまったりすることもありました。そんなとき「別に気にしなくていいから好きにやっていいよ!」と笑顔で言われると、めちゃくちゃうれしいですし、救われます。

長考と一言でいっても、本当に色々なシチュエーションがあります。ゲームに長けた経験者であればあるほど、この人は何に悩んでいるのだろう、と相手について考え、心にゆとりを持ち、手を差し伸べてあげることができるのではないでしょうか。

結局は気持ち次第。もしこれを読んでくれた方がいて、何かひとつでも思い当たることがあれば、少しだけ相手を気にしてあげてください。
私も書いていて、「うわ―自分できてねぇな」と思うことが恥ずかしながらたくさんありました!

【まとめ】

●人は「どれくらい待てばいいか分からない」、「待つと思っていなかった」場合に大きなストレスを感じる傾向にある

●一方、「ゲームに勝つために最善を尽くすのは当たり前」「なんであまり考えてプレイしないのか」と感じる人もいる

●ボドゲに対する考え方は人それぞれだが、そんな様々な人が同卓する可能性があるオープンゲーム会で、長考は特に問題になりやすい

●ゲームデザイナーの想いを示すことで、遊び方が共通化するかもしれない

●そのゲーム会のビジョンを出し、共感する人を集めることで問題が起こりにくくなるだろう

●でも、結局は人。自分が長考するとき、相手が長考しているとき、少しだけ同卓しているプレイヤーについて考えてみよう

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